続けること

49年生きてきた。

好きな事で自立するために必要なのは、
自分の得意分野を磨き続けることだ。

創作で結実を手に入れるには、
たくさん、作品を描き続け、
多くの人に見てもらい、発表活動を続ける。

あらゆる本を読み、
読書と経験から学んだ事を行動するーー
――この継続は後々、恵みに変わる。

それは、
『メディアからの取材』だったり、
『仕事の依頼』だったり、
『報酬』、
その他、色んな恩恵である。

青春時代、漫画家の夢を病気で、あきらめた。

その後、ガテン系の仕事ばかりしながら、
30歳過ぎに
教会との関わりのおかげで、
再び描き続けた。

才能が復活後、
絵を描くために勉強と努力の継続を通じて、
専門誌への8コマ漫画が掲載され、

ネットに漫画やイラストを載せて、
キンドルやクリエイトスペースで小遣いを稼ぎ、

雑誌『こころの元気+』でお仕事をさせていただき、

パラリンアートで時々、登録した絵が報酬を生み、
その後、同団体からの描き下ろしの仕事が増えた。

そして、最近(4年ぶりに)、取材の話が2件来た。
その詳細は、まだ明かせないが、
今、少しずつ自分の部屋を片付けたり、
整理整頓しながら備えをしている。

光が見えてきた気がしている。

4年前には地元のTV局と
新聞2紙から取材を受け、
それを機に病院や福祉関連の方からの依頼で、
県内の大学や看護学校で、
こころの病に関することも含めて、
講演活動させて頂いた。

以下は4年前の新聞記事(沖縄タイムス)。

↑これも4年前の新聞記事(琉球新報)

周りから励ましの言葉をかけられ、
順調で充実した日々が経過していった。

しかし、そんな頃、その事とは無関係ながら、
思いがけない2つの問題によって、
歯車が狂った。

1つは、自宅の駐車場(自分の愛車を止めている、屋根のない車庫)や、
その前の通りで、
暴走族が勝手にバイクを止めたり、たむろして、
彼らがそこで喫煙し始め、
警察に通報しても、
その状態はしばらく続いた。

もう1つは、
その年の夏に自分が通う教会に来ていた
韓国の教会のクリスチャン達によるコリアンイベントに
母と一緒に行った夜の事だった。

母は、30年くらい前に交通事故に遭い、
熱心なリハビリで回復していたのだが、
その後、後遺症が出たため、
キャスター付きの四点歩行器を利用している。
母が韓国のクリスチャン達と初めて会ったその日――

イベントの最中、母は近場のトイレへ行った。
(そのトイレは、私達親子が座っていた席のすぐ近くだった。
その時、母は近い場所へは四点歩行器を使わず、トイレに行った)
トイレから戻ってきた母は歩いて席に戻った。
その歩き方は韓国の信徒達を含めて、
見ている人を心配させてしまう歩き方だった。

イベントが終わり、
母と私は帰ろうとして教会内のロビーを歩いて、
私はその教会の駐車場に停めていた愛車に母を乗せ帰宅。

韓国のクリスチャン達は母の事で困惑したかも知れないと思った。

駐車場で若い人達がたむろしながらの喫煙に困り、
何とか、知恵を使って、やっと解決することが出来た。

母の事で韓国の信徒達からの私への印象が
失望に変わってしまったと思った。
(「古謝さんは、自分のお母さんをちゃんと大切にしてるのか?」)
――そう思われてしまった気がしている。
彼らはフェイスブックで私の事を無視するようになった。

でも、時間や月日が経ち、
(韓国のクリスチャン達は毎年・夏と冬に我が教会に来るが、)
私達親子が教会内のイベントに来る度に、
彼らは私の母に挨拶し、声をかけるようになった。
その際は私が通訳してあげた。

その一方で、フェイスブックでの人間付き合いに疲れて、
そのSNSを退会し、
と同時に教会に行くのが苦痛になってしまった。
礼拝には母と一緒に行っているが、
私自身は教会へ行くのが楽しくなくなった。

結局、自分にとっての気休めの場所は、
地活だけになった。

雑誌『こころの元気+』の連載漫画を見た方から、
ウェブ漫画執筆を依頼され、

漫画『 スキゾフレニックライフ』を描き始めた。

しかし、初めての長編漫画の仕事に
エネルギーを使い過ぎ、
更に追い討ちをかけたのが、
母の突然の入院だった。

母の看病と介護をしながらのウェブ漫画の仕事は
自分のメンタル面や身体面での苦痛を伴い始めた。

母は3ヶ月後に退院したものの、
翌々月に那覇の病院に
長年入院していた叔母(母の妹)が亡くなった。

叔母の葬式は私が通っている教会で行われた。
しかし、その葬式の前日も
葬式当日も、その翌日以降も
その叔母が入院した病院に遺品を取りに行ったり、
市役所、社会保険事務所、銀行・郵便局へ行ったりと
忙しい日々が続き、
結局、ウェブ漫画の仕事については、
担当に自分から打ち切りを申し出た。

しばらく後のこと、パラリンアートから連絡が来た。

私がそのサイトに登録している絵画作品が
内地の企業のカタログの表紙に採用されたとの知らせだった。

 

その後も毎週1、2回、自分の絵が他の複数の企業から
使用を希望しているとの通知が来た。

パラリンアートから、描き下ろしの仕事が増えた。

それらの仕事をこなして
描いた絵を送った。

母の食事を私が作り、家事もしている今、
やがて来る4年ぶりの取材のために準備をしている。

絵で、創作で夢を叶えるには、
たくさん描いて、
ネットでも実生活の場でも、
いろんなところで発表活動を続ける事。

そのために多くを学び、
本もたくさん読んで、経験も活かす事。
知恵も忍耐も必要。

アンテナも常に張っておく。
思いついた事を常にググル。ネタもメモする。

今回、このチャンス(内地からの2件の取材)を
描く仕事で収入を得ると言った目標――
それを大きな結実に繋げたい。

その取材については、母の介護のため、上京は無理だが、
とりあえず、部屋を掃除して心を整えよう。