子供時代…
漫画やテレビアニメが好きだった。

母親は米留学経験者。

母は僕をキリスト教系の幼稚園に入園させた。

幼稚園卒園後は、

僕が、小学校に入学してからーー
母は教育ママだった。
母は僕が学校から帰ると、
家で勉強させられたり、
週に2回、ピアノ教室へ通わせられた。
家でもピアノを練習する日々……。

 

ところで、母は息子のために、
小学校入学時から、小学校6年生まで、
小学館の学習雑誌(小学1年生〜小学6年生)、
学研の『学習』と『科学』を購読させていた。

そんなころ、
コロコロコミックや
学研まんが『ひみつシリーズ』
母や叔母が買ってくれた事があった。

ひみつシリーズ』にハマった。

 

ひみつシリーズ』は、ほぼ、全巻買ってもらい、
それらを読む内に物知りになっていった。

そして、子供心にこんな夢を抱いた。
(「僕はいつか、学研の『学習』・『科学』で漫画家として仕事をしたい!」)
と思った。

 

そんな感じで、小学2、3年の頃、
見よう見まねで、自分でも
漫画を描き始めた。
野球漫画とか
巨大ロボットが登場するSF漫画とか…。

でも、人に見せるのは、とても恥ずかしいくらいの出来だった。

雑誌『小学3年生』の付録、
『藤子不二雄先生の漫画入門』に刺激を受けて、
その後、漫画を描くために必要な道具を
買おうとして、文房具屋さんで、
初めて、Gペンや墨汁を買って試しに家で使ってみた。

 

中学生になった頃、
アニメブームを機にアニメ雑誌を買い始めた。
ラジオのアニメ関連番組、
『週刊アニメック』・『アニメシティ』を毎週、
テープに録音して聴いた。
(でも、沖縄のラジオ局では正式に放送してなくて、
九州のラジオ局での放送/KBCで聴いていた。
音声が時々、聴きづらっかたが、この番組のファンだった)

『うる星やつら』と『Dr.スランプ』の影響を受けながら、
自分も漫画を描いていた。

 

実は、漫画家になりたい
――その夢を叶える方法の1つとして、
僕が中学の時に出会った雑誌『ムー』から出ていた
単行本『第三の眼 獲得法/著者:蹟見 冠』の内容を実行し続けていた。

その本に書かれている通りに、
自分の夢・望んでいる事をカセットテープに録音し、
毎朝、それをイヤホンで聴きながら、
瞑想を続けた。
(詳しくは、漫画『スキゾフレニックライフ 第1話』 を参照)

 

その後、高校時代に、精神科に入院。

 

退院後に、高校へ復学――。
病状や薬の副作用で殆ど、絵は描けなくなった。

 

その復学後、
病を機に通い始めた教会で洗礼を受け、
クリスチャンになった。

以降、病と闘いながら、高校を卒業、
そして就活――。

親戚に雇われて土方を7カ月、
その他の工事現場での仕事を2、3年、
大工を一年、
ビニルハウス(観葉植物の会社)で6年、
リネンのランドリーで3年半
(その間に沖縄市のグループホームへ入居)。

 

高校時代から通っていた教会は実家の近くにあった。
その教会で、日曜学校の先生をして欲しいと頼まれ、
聖書の中のエピソードを元に紙芝居を作り、
それを日曜学校に来ていた子供達に見せながら、
イエス様のことを教えていた。

その頃から、絵の賜物が復活し始めた。
絵や漫画を殆ど描かなくなってから、
十年以上経って、才能が回復したような気分だった。

下記は30歳〜31歳頃にハガキに描いて、琉球新報に投稿し、採用・掲載されたイラスト。

 

 

30歳を過ぎた頃、
沖縄市のグループホームへ引っ越して、
そこから、実家の近くの教会へ通うことに難しさを感じ、
沖縄市にある、同じ教派の教会に通い始めた。

30歳を過ぎてからの1人暮らしは、
不安も少しあったけど、
希望に満ちたものでもあった。

KFS(講談社フェーマススクールズ)の
通信講座で勉強しながら、絵の賜物を磨いていた。

こんなエピソードもあった。

 

いろいろと描き続けていって、
いろんな媒体でイラストのお仕事の依頼をいただいた。

結局、学研で漫画家には、なれなかったが、

現在は、雑誌『こころの元気+』にて
毎月、連載漫画を描かせていただいている。

たまに、自作漫画をキンドルや
クリエイトスペースで
リリースしている。

昔は、
「漫画ばかり見てないで勉強しなさい!」
と言っていた母は、やがて、
「あんた、漫画家として仕事してるんだから、
いろんな漫画家さん達の漫画も読みなさい‼︎」
と言うようになった。

教会関係で奉仕でも、
『描く賜物』を用いられたが、
今は、バリアフリー系(メンタルヘルス系)で、
描き続けている。