〜今後、書いていきたい事〜

『障がい者雇用と、その経験から思う事』
『障がい者雇用と、その経験から思う事〜障害者雇用の現実〜』
『“描く仕事”とは無関係だった20年近くのガテン系時代を経て、夢の実現へ』
“描く仕事”の前の就労経験は“学びの期間”であった。

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現在、精神障害者の就活状況は昔よりは、
マシになっていると思います。

自分はホワイト急便で働く前は、
別のランドリーで働いていました。
そこは、リネンのランドリーで、
シーツや布団などの寝具類を専門的にクリーニングする職場でした。

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2001年の2月に
グループホームに引っ越した後も、
しばらくは、
そのリネンのランドリーで働いていた。
その職場は休日は週1回。

ゴールデンウィークも祝日も関係なく、
大晦日も出勤。
(障がい者雇用で就職した職場だった)
元旦だけが休み。

その職場は、日々、
大体は朝8時前から夕方6時近くまでの勤務。

 

早朝7時前から〜夕方過ぎの8時頃まで
勤務する日もあった。

 

当時は精神障害者を
受け入れてくれる職場は限られていた。

 

休勤日は、
自宅(グループホームの自室)で
絵や漫画を描いていた。

 

グループホームは沖縄市にあった。
ある日、その市内の新聞社の沖縄市支部に
(※その新聞社の本社は那覇にある)
自分がイラストを描いたスケッチブックを
持ち込みに行った。

新聞社で絵の仕事がしたいとの思いで
起こした行動だった。

 

しかし、その編集長らしき人に
「(こんなスケッチブックを見せられても、)
ウチは絵が描ける人は足りているよ!」
と、言われ、
その新聞社へ行くも、門前払い…σ(^_^;)

 

グループホーム(その施設名は『なごみ荘』)に
引っ越してから、
間も無く、
なごみ荘のすぐ近くにある、
喫茶店に、よくコーヒーを飲みに行き、
その店の店長さんや
パートの店員さんと仲良しになっていた。

ほんで、店長さんやパートさんに
自分のスケッチブックを見せたり、
たまに、その店に来た他のお客さんにも
自分の絵を見せたりした。

そこで、パートさんが、
「古謝さんが描いたスケッチブックを私に預けてくれない?
知り合いに見せたいから」

 

パートさんは、僕が預けた
10冊以上のスケッチブックを市内の
図書館に持って行った。

図書館の館長さんが、そのスケッチブックを
見てくれた。

パートさんは、僕について、
その館長さんにいろいろ話した。

 

その数日後――
喫茶店で、パートさんが僕に言った。
「図書館の館長さんが、古謝さんに紙芝居を描いて欲しいそうですよ♪」

それを聞いて、翌日に
さっそく、図書館へ行き、館長さんから、言われた。
「紙芝居制作をボランティアで、お願いします♪」

 

(ボランティアでも、描き続ければ、いずれは報われる……)
と思って、
図書館が貸してくれた沖縄の民話集を読んで、
それを参考にして、紙芝居を描き始めた。

 

仕事から帰宅後は、
紙芝居制作に取り掛かる。

1作目を描いて図書館のスタッフさんに渡した。

 

僕が勤めていたリネンのランドリーは、
経営が悪化し、
従業員への給料の支払いが遅れ始めた。

 

僕は、ある時、そこでお昼時間に
ハガキにボールペンで
10分〜15分くらいでイラストを描いて、
仕事の帰りに近場のポストに投函。

送り先は、講談社フェーマススクールズ主催の
ハガキイラストコンテスト(公募)。

 

いつまでも給与を支払ってくれない職場で
働き続ける気になれず、
とある休みの日にケータイで
給与の支払いに関して
そのランドリーの社長と電話で大ゲンカ。

 

僕は、その職場を辞めた。2001年6月の事だった。

最後の給与は、
翌月(2001年7月に)受け取った。

 

それからは、しばらく、
市内の作業所に通所した。

 

ハローワークで就活もした。

 

そしてーー、

 

ホワイト急便への就職が決まった。

 

そんな中(2001年10月半ば)、
なごみ荘の郵便受けに
講談社フェーマススクールズから、
通知が届いていた。

 

中を開けてみると、
僕がランドリーを辞める前に
ハガキに描いたイラストが、
その公募で一次審査を通過したとの事だった。

 

講談社フェーマススクールズの
スタッフさんが沖縄市にて作品講評会を
行うので、その会場に来て欲しいとの事だった。

 

その作品講評会
――2001年11月、場所は沖縄市民会館の近くの
沖縄商工会議所の一室。

そこで、講談社フェーマススクールズ(以降、『KFS』)の
受講コンサルタントの方(S田さん)と面談。

そこで、自分が描いたスケッチブックを
10冊以上見てもらった。

 

 

コンサルタントのS田さんが、
そのスケッチブックに目を通して下さった。

 

 

 

そして、S田さんは、
「(古謝さんは、)才能に関しては申し分ありません」
と言って下さり、
また、励ましの言葉をいただき、
KFSの受講を薦めて下さった。

 

翌々週から、ホワイト急便で働き始め、
翌年(2002年)の1月終わり頃に
KFSの通信講座の受講生になった。

 

それから、3ヶ月後が過ぎた頃――、
僕が前年の6月に辞めたランドリーが倒産したという事を
風の便りで聞いた。

 

僕は、週に3日〜4日、
ホワイト急便で働きながら、
休日は、
KFSの通信講座で
絵の勉強に励んでいた。

 

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――でも、まぁ、ホワイト急便で6年近く働いてたけど、
ガテン系や肉体労働は、
何歳までもできる仕事ではありません。

やっぱり、
自分のスキルを磨いて、
それを生かせる仕事をした方が
最善かなと思います。

今は、自分のクリエイティビティを
自分自身のセーフティーネットとして
築き上げていきたく思います。

 

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◎障害者雇用の現実・課題――今後、僕が書こうと思っている事――
・就労後の良い面と厳しい面。賃金・工賃、助成金。度重なる法改正がもたらす不安。
(職場の人間関係、健康面/体調管理。よくある取越し苦労や考え過ぎ。不満も後で感謝に。)
・就労後の勤務経験やキャリアを買われて講演依頼が来る事も。
・就労後の人間関係。パワハラなど。辞めたくても、上司は部下の知識の無さに付け込む事も。
・2018年から、精神障がい者雇用の義務化が始まる。